『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』
- 雨
- 2020年5月12日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年10月18日

どういうきっかけでその本のことを知ったのか、はっきりと思い出せない。Amazonかブクログでお勧めの本として表示されたことがきっかけだった気がするけれど、有力な説というだけで本当にそうかはわからない。偶然、書店で見かけたという説も捨て切れないし、もっと別の真実があるのかもしれない。 それがどういうきっかけであったにせよ、夕暮れのエッフェル塔と電車の装丁が目に留まり、私は「読みたい本」としてその本をブクログに登録した。発行は2017年だったが、私がその本を知ったのは2018年のことだった。それから約2年の間、私はその本をリストに入れておくだけで、実際に購入することはなかった。 必然的に在宅しなければならない時間が増えて、私はこの機会に何冊か本を読もうと思った。すでに積読になっている本が6冊あったが、もう一冊くらい増えても特に差し支えはなかった。そして、ブクログの「読みたい」に登録してある本をざっとチェックし、あの美しい装丁の本のことを思い出した。 近所の書店でその本を見かけたことはなかったので(外出はできるだけ避けた方がいいという観点からも)Amazonで購入することにした。出品されている本の中から比較的状態の良い、なおかつ定価よりも値段が下がっているものを選び、レジへと進んだ。本は注文から4日後に届き、それから約二週間後に私はその小説を読み始めた。 最後の183ページ目を読み終えるまで、私は何度もこの小説が好きだと思った。通勤電車で本を朗読する男性の話。物語の内容や読後感は違うが、トールマン・カポーティの『クリスマスの思い出』を読んだ時の感覚と似ていた。私はそれを、読んだ本の記録として別のブログにこう書き記していた。 “特に『ティファニーで朝食を』に収録されている『クリスマスの思い出』という短編がとても心に響いた。何がどういいのか表現するのは難しいのだが、自分が小説に望むものが全て書かれているような短編だった。そういう物語にはなかなか出会えるものではない” 「自分が小説に望むものが全て書かれている」。そんな感覚を味わったのは久しぶりのことだった。主人公は変わった部分があるものの、地味で平凡な男性で、決してスリリングな展開が待っている物語ではない。それでも本を読み終わった後、彼やその友人達、重要な役割を果たす「彼女」に向けて、感嘆のため息を吐かずにはいられなかった。 小説の中で彼の日常に向き合ううちに、本を声に出して読みたくなった。実際、彼が電車の中で朗読した文章を声に出して読んでみた。物語の切れ端、その文章にどんどん引き込まれて、心の中から何かが沸き上がるような感覚があった。 私は今まで、一度も「書評」というものを書いたことはない。似たところで言うとせいぜい子供の頃に書いた読書感想文くらいで、大人になってから、物語を深く考察したり、それについて自分の意見を主張するようなことはなかった。そこにある物語をそのまま受け入れ、少し救われたり、少し絶望したり、少し感動したりするだけだった。 『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』を読み終えた後、インスタントコーヒーではなく、久しぶりにきちんとドリップしてコーヒーを淹れたくなった。実際、いつも使っているカップにドリッパーをセットして、ペーパーフィルターを使ってコーヒーを淹れた。物語の中にそんな場面は一度も出てこないのに、不意にそんなことがしたくなった。 これは書評でも読書感想文でもない。ただどうしても、この本を読んだ記録を残しておきたかっただけの文章だ。この本は手放さず、またいつか読み返そうと思っている。例えばこれは、そんな物語なのだ。
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