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しっとりとして、大人

  • 執筆者の写真: 雨
  • 2019年4月14日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年10月18日



長く小説を書いていると、自分でも気づかないうちにオリジナリティが作品に表れてくる。ストーリー展開の傾向というよりは、言葉の選び方や句読点の打ち方、文章の雰囲気やリズムに一貫した個性というものが見て取れる。同じような表現、言い回しをついつい使ってしまうというのもこれに当てはまるかもしれない。


普段、私は自作の小説を客観視することがほとんどないので、読者に指摘されるまで自分の個性というものをあまり意識したことがなかった。「シンプルな文章」という以外、特筆することは何もない。今まで小説の感想を色々な方からいただいてきたが、特に二次創作を始めてから、文体に関してよく言われるコメントがある。


「しっとりとして、大人」。言葉選びや小説の雰囲気を褒めてくださるほとんどの方に、そう言われる。「もしや同じ人が書いてるのでは……?」と一瞬考えてしまうくらいの確率なので、それが私の個性と言って差し支えないだろう。


私の勝手な主観だが、二次創作で落ち着いた文体の小説を書いている人は少数派のように思う。ジャンルの雰囲気や作者の年齢、原作のテイストによって傾向に違いはあっても、比較的「わかりやすい文章」が好まれているように感じる。二次創作では「文章力よりもネタの方が重要」という話も聞くし、それなら小難しい文章より簡単な文章の方が取っつきやすい。


確かに私の文章は淡々としていて、テンションは一定に保たれている。しかし、そうしようと意識して書いているわけではない。読者が感じている大人な雰囲気も、もう私自身がいい年齢なので、自然の成り行きでそうなっているだけだと思う。何というか、試行錯誤して作り上げた文体ではなく、気づいたらそうなっていたという感じだ。


書いている本人としては、自分の書いている文章がそれほど大人っぽいとは思わない。「しっとりしている」という表現も、実はいまいちピンと来ていなかったりする。「“しっとり”ってどういう意味だっけ?」と思わず調べたところ、webの辞書には「静かに落ち着いて、好ましい趣のあるさま」と書かれていた。


改めて言葉の意味を理解し「ほほう、なるほどね」と思ったものの、「しっとりとして、大人」という文体の個性が私自身にはどこか他人事のように感じられる。この意識のズレみたいなものは一体何なのだろう? 自分の文章を客観視したことがあまりないのでよくわかっていないだけ、ということなのだろうか。


何はともあれ、自然発生的に作られた(と自分では思っている)私の文体を気に入ってくれている人がいるというのはありがたいことだ。でもね、書いてる本人は全然しっとりした大人ではないんですよ。残念なことに。だから、読者の方々には小説だけを見ていて欲しいと切に願う。パンドラの箱は開けないに越したことはない。

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