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コメントにまつわるあれやこれ・一次創作編

  • 執筆者の写真: 雨
  • 2019年2月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年10月18日



前回、二次創作の話をしたので、今回は一次創作におけるコメントについて。私の一次創作の歴史を軽く振り返ると、学生時代は某小説投稿サイトで、社会人になってからは個人のブログで小説を公開していた。途中、何度か一次創作から遠のいていた時期があり、今年からまた投稿サイトに純文学の小説を投稿している。


学生の頃の小説投稿サイトでは、今よりは積極的に書き手の方と交流していた。いただいたコメントには今と同じように返事を書いていたし、こちらから相手の小説に感想を送ったこともある。二次と大きく違う部分があるとすれば、交流相手のほとんどが自分と同じ書き手だったことだ。サイトの性質上、ROM専の方はごく少数だったと思う。


彼らとの付き合いは二次創作でよく言われる「馴れ合い」ではなく、義理で感想を送りあったりするようなこともなかった(もしかしたら私がそう思っていただけかもしれないが)。何故なら書いている小説のテーマが全く違っていたし、その違いを楽しみつつ、良いと思った部分を吸収しようとする雰囲気があった。


サイトにはランキングの制度もあったが、私の周りに優劣を気にする人はあまりおらず、同じ立場でコメントのやりとりができていたように思う。小説の印象や、どういうところが良かったかということをわかりやすく書いてくれる人がいて、自分の小説がどんなものであるかを客観的な視点から知ることができた。


何と言うか、サークル活動のような感じでそのサイトでの時間はとても楽しかった。自分の小説に感想をもらった初めての場所だったし、色々勉強になることも多かった。書くことも読むことも、小説が好きな人との交流が心地よかった。「承認欲求」なんて言葉が話題になるずっと昔のことだ。多少、思い出補正が入っていたとしても、そこでは「自分」ではなく「小説」が主役だった。


そのサイトが閉鎖し、社会人になって生活が落ち着いた頃、私は個人のブログで小説を公開するようになった。そのブログは写真や旅行記なども載せていたので、純粋な小説ブログというわけではなかった。ブログの訪問者も色んな世代の方がいて、必然的に小説の読者もある一定の層ではなく、年齢も性別もバラバラだった。


小説にコメントをくれる方はほんの数名で、常連の方もいれば通りすがりの方もいた。個人ブログの小説にわざわざコメントしてくれるのだから、好意的な方がほとんどだった。しかしその中に一人、変わった方(たぶん30から40代くらいの男性)がいた。


正確には小説ではなく散文(小説と詩の間のような文章もブログに載せていた)へのコメントだったのだが、一言感想と共にいつもポエムが添えられていた。私の散文からイメージしたポエムということなのだろう。今考えるとちょっと怖い。しかも微妙に解釈が間違っているので、余計にどうしていいかわからなかった。


当たり障りのない返信を続け、散文の更新を止めたらその方からのコメントはいつしか途絶えた。しつこく粘着されなくてよかったと安堵しつつ、少しぐらい彼のポエムを褒めた方が良かったのだろうかとも思った。しかし、何も感じない文章に対してお世辞が言えるほど私は人間ができていなかった。


自分の世界観がより濃く反映される一次創作では、小説を気に入ってもらえた時の喜びが二次創作より大きく、少し照れくさくもある。そして、一次と二次でこれまで書いてきたような違いはあっても、コメントをいただけて嬉しい気持ちは変わらない。


小説を書くこと自体は自分が好きでやっていることなので、他人の意思は関係ない。しかし、ネットで小説を公開している以上、誰かに読んでもらいたいという気持ちはもちろんあって、いただいたコメントが創作の糧にもなる。読者の方が思っている以上に、書き手はコメントに一喜一憂してしまうものなのだ。

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