一人称しか書けなかった
- 雨
- 2019年2月21日
- 読了時間: 5分
更新日:2020年10月18日

先日、遅ればせながら『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきました。代表曲は知っているけどその世代ではない、という私でもライブシーンは鳥肌ものでした。Queen最高。彼らのストーリーを知った上で「LIVE AID」の映像を見ることができて良かったです。もっと早く生まれて、あの時のウェンブリーに行けていたら凄かっただろうなぁ。
いきなり余談から入ってしまいましたが、それはさておき、今日は小説における「人称」の話を少し。小説は「一人称」か「三人称」で書かれているものが多く、平たく言えば、人称とは「誰の視点で物語が語られているか」ということである。一人称は「僕」や「私」といったある特定の個人の視点、三人称は登場人物をカメラで追うような、俗に言う「神の視点」で書かれたものだ。
三人称に関しては「三人称単視点」とか「三人称多視点」とか色々あって(呼び方も統一されていない)説明がややこしい。前述した「神の視点」はこの中で最も自由度の高い書き方だが、今ではあまり使われていないらしい。三人称でも誰か一人にスポットを絞るか、複数の視点から書くか、またはそれぞれの心情、時空も自由自在に操れる神が語り手になるかで書き方は違ってくる。
私の説明では「よくわからん」という方はググってください(投げやり)。とにかくタイトルにもあるように、小説を書き始めてからしばらくの間、私は「一人称」でしか物語を進めることができなかった。一般的に「一人称は難しい」と言われているようだが、その難しさがどういうことなのか、私は最近までよくわかっていなかった。
ここ数年は三人称で書くことも増えてきたが、一次創作は未だに一人称を使うことが多い。逆に二次創作では三人称を使うことが多く、こちらの方が書きやすいと感じている。一次創作は「私小説」の色が濃く、二次創作は自分とは関係ない誰か、この言葉が適切かどうかはわからないが「ファンタジー」の要素が含まれているからだと思う。
一人称を使うということは、ある意味、主人公を自分で演じるような側面がある。登場人物が自分と違う性別や年齢だとしても関係ない。少し大袈裟な言い方をすれば「憑依する」ような感じだろうか。あるいは、限りなく自分に近い別の人間を作り出すというか……。少し長くなりそうなので、このことについてはまた別の記事で書くことにしよう。
三人称を使った最初の小説が何だったのか、はっきりと思い出せない(たぶんストーカーの話だったような気がする)。しかし、一人称しか書いていなかった自分が三人称を初めて使った時に感じた違和感というか、難しさは覚えている。何と言うか、この物語を語っている「存在しない誰か」の視点がなかなか文章に馴染んでいかなかった。
人称の使い分けについては慣れしかないのかなぁと思っている。私は人の小説を読んで勉強するという意識が欠落しているので、とにかく書いて慣れるしかなかった。今のところ「読みにくい」というご意見はいただいたことがないので、とりあえず読める文章にはなっていると思う。三人称のルールをきちんと守っているとは言い難いけれど。
また、一人称でページ毎に人物の視点が入れ替わるという手法も好きである。視点が混在している(要するに巧みではなく、あくまで下手な)三人称に比べ、一人称のようにはっきりと語り手が分かれていれば、読みにくいということもないと思う。
最近では三人称の中に突然一人称が現れるといった文章も珍しくないそうだ。ラノベ界にそういう文章が多いと何かの記事で読んで「へぇ、そうなのか」と思っていたのだが、よくよく考えてみれば私の三人称もそういう部分があるなとはっとした。「三人称多視点」ではなく、これは明らかに一人称だと受け取られる書き方をしている。
普段、あまり何も考えずに感覚で文章を書いているのでその記事を読むまで気づかなかった。一つひとつの文章は誰にでもわかる言葉でシンプルに書いていても、全体としては統一感のない文章になっていたかもしれない。ラノベを読んだことがないのに、ラノベ的な文章になっていたというのか?!という何だかよくわからない状況である。
とは言っても、プロの作品(ラノベでもその他の小説でも)でそういうケースは稀だと思う。現在でも一人称と三人称が混ざった「混合人称」はタブーだと言われているようだ。だがしかし、である。特に二次創作においての話なのだが、私は無意識に混合人称で書いてしまうのだ。もう呼吸するぐらいのレベルで。
冒頭を主人公の一人称で書き、区切りを入れた後で三人称に切り替えるというようなことをよくやってしまう。三人称多視点の中にまるでセリフのように一人称を入れてしまう。私にだけ理解できるカメラワークで、具体的な説明もなしに。これで文章が成り立っているのかと言われれば甚だ疑問である。自由って怖い。私の文章なんてプロが見たら「は?」っていう感じなんだろうな……。
一人称しか書けなかった時代の方が、小説のセオリー的には正しい文章が書けていたのかもしれない。しかし、それが「正しくない」三人称であっても、自分の好きなように書いた方が楽しい。仕事ではなく、他の誰かのためでもなく、自分の楽しみのために小説を書いているのだから、多少の粗は大目に見ていただきたい。時代が変われば文章も変わる。もうお気づきだとは思うが、私は自分に甘い。
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