top of page

交流は必要か

  • 執筆者の写真: 雨
  • 2019年2月13日
  • 読了時間: 4分

更新日:2020年10月18日



同じ趣味を持つ人と仲良くしたいという心理は至極真っ当なものである。二次創作に視点を絞ると、最近はTwitterが交流の場として多く使われているようだ。二次創作を始めた頃、積極的に交流したいという気持ちはなかったが、一応書き手の端くれとしてマナーみたいなものを知っておいた方がいいと思い、某掲示板や某知恵袋を閲覧して知識を得ていた。


私はTwitterのアカウントを持っていないので、腐女子がそこでどんな交流をしているのかに詳しいわけではない。しかし、外部から見ていた限りでは「め、面倒くせぇ……」という感想しか出てこなかった。見ていた掲示板がネガティブ要素を持つ板だったせいもあると思うが、Twitterはとにかくストレスフルなものであるらしい。


過去の記事で書いた通り、私には一人も腐女子の友達がいない。サイト上でコメントをくださった方と何度かメッセージのやりとりはしたことはあっても、友達のように親しくなることはなく、あくまで「書き手」と「読み手」という関係が続いている。自分から交流しない(または交流自体望んでいない)活動スタイルを世間では「壁打ち」というらしい。


おそらく私もその壁打ちというやつなのだが、今のところ特に問題もなく快適に活動できている。楽しく「萌え語り」ができる相手がいなくても別に寂しいとは思わないし、時々コメント等で構ってくれる人がいるので疎外感もあまり感じない。


私が活動しているジャンルは、投稿サイトよりTwitterで小説を公開している人の方が(たぶん)多い。人が多ければそれだけ閲覧や反応をもらえるチャンスは増えるだろう。しかし、デメリットのことを考えると、どうしてもTwitterをやる気にはなれない。そこで求められる「交流の在り方」のようなものに、順応できる自信がない。


何と言うか、創作における「ギブアンドテイク」の精神がどうも苦手なのだ。小説に感想をもらったらこちらも相手の作品に対して感想を送るべきだとか、そういうことが。フォローされたらフォロバしろとか、あの人にはRTするのに自分にはしてくれないとか、もう、いちいち面倒くさい。


また、表面上は仲良くしていても裏垢で悪口を言ったり、地雷や気に入らない解釈の作品を上げている人を攻撃したりと、トラブルが絶えないイメージがある。明らかに悪意のある発言やマナー違反の行動に対して注意をするならまだ理解できるけれど、もし、嫉妬や個人的な感情で自分がそんなことをされたら「そんなん知らんがな」とため息しか出ない。


人と自分は違って当たり前だ。承認欲求を満たすために小説を書く人(ジャンル=自分)もいれば、本当にその作品やCPが好きな人もいる。エロならなんでもいいという人やかなり特殊な趣味を持つ人、ジャンルそっちのけで自分の生活の愚痴をつぶやく人もいる。多種多様(あるいは有象無象)が基本の世界で、自分の思い通りに活動できる人は一握りだと思う。


構ってちゃんは鬱陶しいし、メンヘラちゃんはどう扱っていいかわからない。私は「スルースキル」は高い方だが「コミュ力」はそれほどでもない。いくらTwitterがメインのジャンルであっても、各方面の顔色を窺って二次創作をするくらいなら、投稿サイトで細々と活動した方が精神衛生上ずっと楽だと思っている。


Twitterは宣伝やマーケティングにはとても便利なツールだと思う。140字という気軽さや拡散力、情報の速さはTwitterを利用していない私にとっても魅力的なものに見える。しかし、人間関係が面倒だという他に、私にはもう一つTwitterを利用しない理由がある。


少しの誇張もなく、マジでつぶやきたいことが一つもないのだ。萌え語りは小説を書くことで消化されるし、取り扱っているジャンルがRPSなので出来るだけひっそりしていたい。プライベートを切り売りする気もない。大っぴらに愚痴や悪口を言うのはみっともないことだと教育されてきた。食事の写真を上げて、私が食べた物に興味を持つ人なんているのか? まぁ、可愛い猫の写真なら見たいけれども。


Twitterを中心に交流について書いてきたが、要するに、私はリアル以外の人間関係にまで煩わされたくないということだ。面倒なことは避けて、できるだけ楽をして生きていきたい。たとえ友達が一人もいなくても。こういう終わり方はつまり「そして冒頭に戻る」というやつだ。記事のタイトル、こっちにした方が良かったかな。

Kommentare


Join my mailing list

© 2023 by The Book Lover. Proudly created with Wix.com

bottom of page