優しい世界など存在しない
- 雨
- 2020年12月6日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年12月9日

以前「悪趣味」という記事で、pixivに投稿されている小説作品の中から「お知らせ」という検索キーワードに引っかかったものを読むことが楽しみであると書いたことがあった。最近は二次小説を書くのに忙しいのであまりpixivを見なくなったのだが、少し前、Twitterで字書きの「愚痴垢(匿名で創作の愚痴をつぶやくアカウント)」を定期的に眺めていたことがあった。
新たな悪趣味を増やすことになったきっかけは、二次創作界隈(腐女子界隈かな)で話題になった『私のジャンルに「神」がいます』という漫画作品だ。通称「ジャン神」はpixivでも読むことができ、最新話が更新される度、登場人物の名前がTwitterのトレンドに入るほど人気だったらしい。
私も二次創作をやってはいるが、オンのみの活動でいわゆる壁打ちタイプの人間なので、漫画に描かれている人間関係が全て理解できるわけではない。しかし、読み物としてはとても面白く、そこからもっとディープな世界を覗いてみたくなり、Twitterで愚痴垢を検索して彼女達の内面を色々と知ることになった。
いくつかのアカウントと、愚痴垢ではないが検索に引っかかった個々のつぶやきを見てわかったのは、大きくまとめると「評価されないことが辛い」と「自カプ(または自ジャンル)の人間がムカつく」という二つの要素から愚痴が生まれているということである。そこをベースとして「小説は絵ほど評価されない」とか「底辺字書きは相手にされない」というつぶやきが多かったように思う。
彼女達の書く小説がどんなものなのか私は知ることができないので、どのレベルの字書きがそういった愚痴を言っているのかはわからない。顔も知らない人のことについてあれこれ言うのもどうかと思うが、仮に、彼女達が上中下の下に属する字書きだったとすると、私は単純に「不憫だな」と同情することはできないというのが正直なところだ。
二次創作だろうと素人の趣味だろうと、創作物には優劣がある。面白い小説を書く人がもてはやされるのは当たり前で、小説を書く側ではなく読む側に回ってみれば、下手な小説を読みたいなんて思わないはずである。消費する側として、面白い物を読みたいというのは至極真っ当な感情だ。
壁打ちで評価されるのは実力がある者だけで、そうでない人が評価をもらうためには「互助会」と呼ばれるグループに入って身内で評価し合うという方法がある。馴れ合いは嫌だという人もいるかもしれないが、全ての創作物が平等に評価される世界など存在しない。
徒競走で、お手々つないで全員一緒にゴールするような世界を望むのなら、創作ではなく交流に力を入れた方が手っ取り早い。しかし、今度は交流が辛くなるという現象が起きる。良いと思えないものも褒めなければならないというストレス。互助会に気に入られるようなものを書かなければならないというプレッシャー。そのうち、創作自体が苦痛になっていく。
人が評価されているのを見るのが辛いとか、神字書きばかりもてはやす界隈が憎いとか、そんなことを言っても仕方ないのだ。結局「他人の評価を気にせず創作する」というのが答えなのだろうけど、数字に捕らわれた人にとってはそれが一番難しい。相対評価ではなく、自分だけの絶対評価を頭に置いて創作できる人は、ごく一部なのかもしれない。
誰もが自由に小説を書けばいいと思うし、創作をすること自体は素晴らしい。そこには何の異存もない。しかし、周りの人間がその創作物をどう評価するのか、書いた本人がそれをコントロールすることはできないのだ。そして、必ずしも数字だけが全てではない。優れているものに対する嫉妬から評価をしないという人間もいるし、村社会のような界隈では孤高の天才が無視されるというケースもある。
楽しく創作を続けるにはどうすればいいのか、これは永遠のテーマであるような気がする。少しも嫌な思いをせずに創作できる人などいないと思うし、才能は限られた人にしか与えられない。自分の実力を客観的に認識した上で、小説を書き続けられる人はどれくらいいるのだろう。「好き」という気持ちだけで前に進むことは不可能なのだろうか。
あぁ、何だか物凄く厄介な世界だ。私はもう一度その世界に足を踏み入れようとしているわけだが、特に憂鬱だとは感じていない。本当に自分は恵まれているなと思う。色んな意味で。
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