文才 ≠ 文章力
- 雨
- 2019年2月17日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年1月28日

「文才」と「文章力」の違いは何か。一般的に文才は「生まれつきの才能」、文章力は「経験によって身についた能力」と言われている。文才はギフト、文章力は努力と言ってもいいかもしれない。どちらも「文章を上手く書ける力」ということに変わりはないが、辞書の言葉を借りて説明すると以下のようになる。
・文才:文章を巧みに書く才能。文学的才能
・文章力:文章を読みやすく、わかりやすく書く能力
個人的には、文才は表現力や言葉の装飾、文章力は語彙力や構成力が優れているというイメージである。文才はより感覚的なもの、文章力は理論的なものといった感じだろうか。本当かどうかはわからないが、文才は80%以上が遺伝するという説もあるらしい。一方で、文章力は努力をすれば誰でも向上する可能性がある。
小説を書く人達にとってこれはある種の救いとも受け取れるが、同時に地獄のような現実でもある。わかりやすい文章が必ずしも魅力的な文章とイコールにはならないからだ。マニュアルなどを作る場合は「文章力」が圧倒的に求められるが、小説では人の心を引き付けることができる「文才」が必要になる。
もちろん、センスや感性といったものを磨くことはできると思う。ただ、先天的なものと後天的なものの間にはどうしても越えられない壁があると私は感じる。才能を英語で「gift」と表現するように、神様から与えられた贈り物というのはやはり特別だ。
面白いストーリーを考えることができても、それを巧みな文章にできるかはまた別の問題である。原作と作画を別の人が担当している漫画があるように、小説にもそれに近い要素があると思う。よく「小説は誰でも書ける」という言葉を聞くが(私もその意見には概ね賛成だが)当たり前のように優劣はある。そして厄介なことに、何を優れているかと感じるかは人それぞれだ。
私はストーリーにあまり自信がないので、表現したいことが少しでも伝わるよう、誰にでもわかる言葉でシンプルな文章を心がけて小説を書いている(ただ語彙力がないだけとも言えるけれど)。文才があるかどうかは自分ではよくわからない。たまに、言葉の選び方などを読者の方から褒められることもあるので、全く文才がないわけではないと自分では思いたい。
文章力に関してはまだまだ勉強不足であると思う。「起承転結」をきちんと意識して小説を書いたことなんて、もしかしたら一回もないかもしれない。小説に取り入れる要素をあらかじめ箇条書きにすることはあるが、プロットと呼べるほどのものではない。いつもただ、自分の好きなように書いているだけだ。
「勉強のために小説を読む」という感覚が私にはよくわからない。私にとって小説は分析したり評価したりするものではなく、純粋に「読むこと」を楽しむためのものだ。そこから受け取る感情は様々で、作品によっては何も感じないこともあるが、活字を目で追っている時は余計なことを考えずにいられる。
物語に深く沈み込んでいくことができれば最高に楽しい。やっぱり自分は書く側の人間ではなく、読む側の人間なのだと思う。文章力を向上させるために少しは努力した方がいいかもなと思いつつ、私は「とりあえず楽しければいい」という考えからなかなか抜け出せないのである。
追記
ブログを始めてから2週間と少し、ほぼ毎日1記事のペースで更新を続けてきましたが、所用ため明日からしばらくお休みします。書きたいと思っていたテーマも大体消化したので、これからはのんびりやっていきます。
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