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書いて、書いて書きまくれ

  • 執筆者の写真: 雨
  • 2019年2月15日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年10月18日



突然だが私はスタジオジブリの映画が好きである。小学生の頃からもう何度も見ているのに、今でもテレビで放送されるとついつい視聴してしまう。そして、毎回感動する。大人になってから涙腺が緩んだせいか、ラストでちょっと泣きそうになる。


そんなジブリ映画の中に『魔女の宅急便』という作品がある。察しのいいジブリファンなら、今回のタイトル「書いて、書いて書きまくれ」の意味にピンと来る方もおられるかもしれない。『魔女の宅急便』の登場人物の一人、画家の少女(劇中では一度も名前を呼ばれることはないが、公式には「ウルスラ」という名前らしい)の言葉をもじったものだ。


正確には「描いて、描いて描きまくる」だったと記憶している。箒で飛ぶことができなくり、落ち込んでいるキキに、彼女は自分が思うように絵を描けなくなった時にどうするかを話すシーンがある。その時に彼女が言った言葉がこれだ。その後で「それでもダメだったら?」と尋ねたキキに、彼女は「描くのを止める」と答えている。


あがいてもダメだった時は一旦描くことから離れ、別のことをして過ごす。そうすれば、そのうちまた自然と描きたくなると彼女のセリフは続いている。どうしてだか自分でもよくわからないのだが、子供の頃からそのシーンが強く記憶に残っているのだ。彼女が描いた夜空を飛ぶ少女とペガサスの絵が、衝撃的に美しかったからかもしれない。


長い前置きを経て何が言いたかったのかというと、いわゆる「スランプ」に陥った時にどうしているかというのが今日のテーマだ。私は素人で、オフの同人活動をしているわけでもないので締め切りに追われるということはない。よって、書かなければいけないというプレッシャーはないに等しいのだが、それでも何も書けなくなる時がある。


そんな時、決まって「あぁ、もう何も書きたいことがなくなったんだな」と私は思う。他人にとっては何の意味もないことをずっと続けてきたけれど、それも終わりだと。書けなくなっても別に困りはしないし、無理にあがく必要もない。それなのに私は、心にぽっかり穴が空くような、寂しさに似た感覚を覚えてしまう。


かと言って、そこで無理にあがいたりもしない。今のところ、私は「待つ」ことでスランプをやり過ごしている。きっと、そこが本気でプロを目指している人との違いなのではないかと思う。上手く言えないが、ただ楽しさだけを追い求めるだけでなく、必死になれるかどうかが一歩先へ行く鍵であるような気がする。


私は「群ようこ」さんの本を昔からよく読んでいて、彼女のエッセイの中に、読者の人からやっかみの手紙をもらったことについて触れている話がある。手紙には、全くの素人だった群さんが本を出したことについて「自分だってチャンスがあれば本の一冊ぐらい出せていた。でも、今の環境ではそれができない」という旨のことが書かれていたらしい。


それに対して群さんは「こんな手紙を書いている暇があったら一枚でも多く原稿を書けばいいのに」と思われたそうだ。群さんと私では全然立場が違うけれど、本当にそうだよなぁと思う。何かを手に入れたいと強く思うのなら、言い訳せずに自分ができる最大限のことをすればいい。努力で全てが手に入るわけではないとわかっていても。


話が少しズレてしまったが、彼女の言葉を急に思い出して書きたくなってしまったので書かせてもらった。書ける時と書けない時、そこにバイオリズムが存在するのだとすれば、流れに身を任せるのも一種の解決策ではないかと思う。「書いて、書いて書きまくれ」なんてタイトルをつけておいて「結論がこれ……?」という感じが自分でも否めない。

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